「日米同盟」片想いでしょ。

Shimpeiです。

今回はちょっと話題を変えて(笑)
私は今年で日本に帰って10年、それ以前、約20年ニューヨークとその近郊で生活していました。今回は「移民」として生活を始めた当初(1980年代後半)の体験と、感じたことを書きます。

当時、日本についての話題といえば「日本の経済成長」の話でした。ニューヨークには全ての主だった金融機関が現法支店を構えており、加えて地銀も約30、第二地銀も数行が支店を出す等賑やかな金融コミュニティーが出来上がっていました。私も日系証券に現地採用で雇われていたんですが。
日本の本社から来て駐在する「派遣社員」という特別手当で厚遇され郊外の高級住宅街に住んで週中のゴルフ、夜のピアノバーとエンジョイしているエリート日本人を横目で見ながら現地採用の白人課長も有色人種の平社員(私もそうでしたが)から出てくる常套句、「日本が成長出来たのはアメリカが軍事負担をしていたからよ、軍備の必要なければこの程度の成長は当たり前」同じようなコメントは中学か高校で教えられていたのか、多くの一般の人々からも言われたものです。

当時のレーガン大統領と中曽根首相の首脳会談、日本では「ロン&ヤス」蜜月の友好関係などと言われていましたが私には「地球人と宇宙人」の面談にしか見えなかったですね。
人種文化の差、大西洋を越えて見られている極東という地勢以上に二人の距離感の差は歴然としていた、と感じた事を今でも思い出します。
同じ頃度々行われた緊張関係にあったレーガン大統領と旧ソ連のゴルバチョフ首相の喧々諤々の会談をTVで見ていると「兄弟喧嘩」に見えてくるのが不思議でした。

その後ある証券会社のエコノミストと日米関係の話になった時、彼が曰く「米国側からみて経済的に友好関係であったことなど一度もないさ、言い表すと「脅威と不満」、理論想像を超えて成長してしまうことへの「脅威」とダメになったとき面倒みるのかよ、という「不満」かな」

最近当たり前のように使われ、強調される「日米同盟」という言葉、辞書では「国家が共通の目的を達成するため、同じ行動をとることを約束すること。また、その約束によって生じた関係」とありますが TPP等に見られるように米国の目的は自らのグローバル戦略上の僅かな部分でしかないはずで必ずしも日本の想いに見合うものではないはずです。すがって生きる後生ではなくいつの日にか再び米国に「脅威」を与えるような成長をしてみたいものですね。そうすれば一時的とはいえ「同盟」のチャンスは巡ってくると想うのですが。

経済的な不安定化への対処策

千駄木から見た市場経済 Vol.6

みなさん、お元気ですか。Olegです。

それでは前回の「経済的が不安定化になることをどうやって防いでいくのか?」という質問に向き合って見ましょう。対処策として最初にあげるのは社会保障費の削減についてです。

社会保障関連の支出が膨らみ始めたのは高齢人口が急に増加した時、ちょうどバブル経済が崩壊して日本経済が低迷し始めた時期と、たまたま重なっています。
戦後経済の成長を支えた高齢者に手厚く分配する事は社会的に賛同を得やすい事ではありますが、その支出がこの国を沈めて行きます。
しかし現在の選挙制度ではこの給付は止められません。ご存知の通り選挙区分でみても都市部に多い若年層は増え続ける高齢の有権者に負けてしまいます。その高齢有権者の大半が自分の余命を国から受け取る年金に依存している現状では変わるはずがありません。したがって納税者である現役世代は税金を払わない年金生活者という負債を抱え込んでいる、とも表現出来ますね。

日本は今後も今のような社会保障、年金、医療の支払いを続けるなら崩壊してしまうでしょう。しかし、選挙制度の抜本改革(格差是正)が行われない限り、現状を打開する抜本的な改革は無理でしょう。

僕のある友人はブログで日本の現状をこのように指摘しています。
「日本は徐々に基本的な国家機能を果させなくなっている。インフラ、教育、基礎研究に使われるべき 国家予算が全て国債の返済、社会保障プログラムになってしまっている。」

日本で削減可能なものといえば社会保障費だけです。他を探しても余分なお金はありませんね。

話変わって「増税」についてです。
欧州出身の僕はEU各国並の水準に消費税率を引き上げることに賛成します。前に書いた通り、日本はもし23%まで消費税を上げれば財政収支を黒字化することが出来ます。但し黒字化出来たとしても赤字国債を減らすことにはなりません。今まで通り低金利で政府の予想通りGDPが2%成長するのであれば予算は大丈夫です。

増税はGDPの成長を減速させる、というのは事実です。
増税すれば歳入は本来増えるはずだが、増税の影響で経済成長が鈍化してまわりまわって結果的に歳入が減ってしまうという可能性もひょっとしたらあるかもしれません。そうはいっても今回政府は消費税の増税を選択しました。

他に増税の可能性はあるのでしょうか?つぎのような課税増税が可能です。
・年金課税 ― 欧州の一部で実施されている年金を所得とみなして課税する、年金削減にもなる。
・煙草、アルコール税 ― 健康に良くない、とされるものを増税することで医療費が削減される可能性あり。
・競馬、競輪、パチンコなどギャンブルに対する大幅増税とカジノの合法化による課税。
これらはそれほど多額にはならないでしょうが歳入増加に一定の効果をもたらすでしょう。

冒頭に申し上げた社会保障関連支出を補足するために、下の図を紹介したいと思います。日本の社会保障給付と負担を世代別に見たものです。

社会保障給付と負担(世代別)
(出典:MHLW)

目を引くのは図の右側の方にある塊(負担)の大きさであり、それを軽減する一手段として、現在議論になっている定年(年金給付)年齢の引き上げもおそらく必要になってくるのではないのでしょうか。

事実として65歳以上の就業率のデータを見てみると、寿命が延びているのに就業率が下がっている傾向があります。そのことは、経済成長によって生まれた余裕により、早めに引退できているとも言えますね。

次回は、定年年齢の引き上げに関連するデータの提供と、年金関連の解決策をいくつかあげていきたいと思います。

大きな地方都市が毎年消える(人口28万人減)

Shimpeiです。

16日出た総務省統計局の人口調査によれば、去年10月1日現在の総人口は1億2751万5千人で前年比28万4千人(0.22%)の減少で平成23年に25万9千人、2年連続の大幅な減少です。28万、其々の永眠先は様々でしょうが塊としてみれば、三重県津市や新潟県長岡市の総人口に匹敵します。これからは毎年こういった地方主要市規模の群集が消えていくことが続くのですね。

総人口に占める割合の推移をみると、年少人口(0~14歳)は、昭和50年(24.3%)以降一貫して低下を続け、平成24年(13.0%)は過去最低となっています。
生産年齢人口(15~64歳)は、昭和57年(67.5%)以降上昇していたが、平成4年(69.8%)にピークとなり,その後は低下を続けています。
老年人口(65歳以上)はついに団塊の世代が65歳に達したこともあって3079万3千人で104万1千人の増加となり,初めて3000万人を超えました。なお、75歳以上人口は1519万3千人で48万5千人の増加です。昭和25年(4.9%)以降一貫して上昇が続いており、平成24年(24.1%)は過去最高となっている。なお、75歳以上人口は上昇を続け、平成24年は11.9%となっています。

人口減を食い止める施策として外国人の移民促進、子育て等言われていますが今回の公表では外国人は社会増減(入国出国数)で見ると4年連続の減少で5万6千人減また出生率も平成24年は104万7千人で前年に比べ2万人以上減少しています。

国立社会保障人口問題研の公表を見ても人口が減り続けながら老年人口が増え続けていくことは必至、あと10年で65歳以上が人口の30%を超えてくるのは確実なわけで、今から削減、節約を行い、取れるところから税を取る手段を見出さなければならないはずで、このままで行けばオレグが説明している背景の中で財政経済に与える直接的なダメージが見えてくるのは明白です。

政治家は国民(選挙民)に向かって心地良い囁き、「現状維持」や「幸せな今をもたらした功績」を繰り返したり、国民が持っている漠然とした将来への不安や不満を「中国や韓国、北朝鮮に舐められてどうするんだ」と外に注目させ、「改憲」という筋道をもってこれが「将来の国策」である、というようなやり方ではなく、将来の安心のために必要な、きっと国民が嫌がる改革案、今後強いていただく具体的な負担について語れるだけの信頼関係を選挙民との間に構築すべきなのですが。

「0増5減」何と姑息な

Shimpeiです。

自民党は「0増5減」を含む公職選挙改正法案を衆議院に提出し、5月中の成立を目指しています。与党の改定案によって17都県42選挙区の見直しが行われ、一票の格差は1.998倍まで縮小されると見込まれています。
「ひとり1票が2票差以上にならなければ合憲」という1票の格差を巡る司法の過去の判断をもとに最近各高裁で出された選挙無効を含む判決を何とか潜り抜けよう、という思惑しか感じられません。

政府はまずは「3党合意」に基づいた選挙制度改革の第一歩だ、と譲る気配を見せませんが「2対1.998」って発想しか持ち合わせていない事が一番の問題なのではないかと。

対する民主党案にしてもやはり「2対1.8」。野党に目立つのは定数削減を含めて現行選挙制度の改正を行うべき、というのが「反対」の旗印になっていますが、「1票の平等(格差是正)」と定数削減は別次元のことで政治家はまず「2対??」の発想でなく「1対1」にどう近づけるか、そのための選挙制度とは?というところから議論を始めるべきなのかと考えます。

私から見れば与党も野党もリストラ直前のサラリーマンのよう、でも自分たちが決めるものだと互助組合員の形振りで冗漫に見えます。

とてもこの国の将来を立て直すために選ばれた「立法者」として「深淵な発想」持っている議員はどこにもいない、と思うのは私だけでしょうか。

経済的な安定性とリスク

千駄木から見た市場経済 Vol.5

みなさん、お元気ですか。Olegです。

前回に引き続き、社会保障支出の削減は不可避というテーマに関し、「経済的な安定性」には十分な注意が必要、という説明からです。

ご承知とは思いますが「リスク」とは「起きる or 起きないという結果」とは関係なく「ある事象に対する不確実性」のことです。この点、目下懸念されるのは、日本国債(JGB)の利回りが将来どこかの時点で急上昇するリスクです。

IMFが、JGBの金利が上昇すると日本の財政が崩壊するとの分析を提示しています。この分析によると2010年の利払い費は公債残高の平均1%程度、GDPの約2%でした。つまり更に1%平均金利が上がるとGDPの約4%を占める計算となります。例えば、スペインで起きたような(金利が2%から6%に上昇)状況が日本で起きたと仮定した場合、利払い費はGDP対比で約12%となるわけですが、これは驚愕かつ支払い不能な金額といえるでしょう。

もしこういう事態になれば銀行や年金も大打撃を受けます。現時点では日本の財政は微妙に巧く安定しバランスをとっています。理論上、金利が低ければ日本では全ての国債が直接、間接的に国民が所有しているわけで今のバランスで永遠に維持することが可能です。

しかし、Econbrowserの記事によれば、このまま国債発行が膨らんでいくと民間の金融機関の資産よりも大きくなってしまうという指摘がなされています。「日本の国債を国民が持っている」といっても個人向けの国債はごく僅かで大半は銀行預金、年金、生命保険などに預けられた資金のかなりの部分が国債で運用されている、ということですから今の国債の膨らみ方ではこれらの金融機関だけで消化できなくなります。それでは誰が買い手として登場するのでしょうか?

新たな買い手は「外国人」です。国債のリファイナンスや発行を外国人に頼らざるを得なくなる、事情は異なるもののイメージとしては「ペリーの黒船」の再来になるのでしょうか。

ここで国債の主な引き受け先である銀行にとって気になる話題に触れます。日本人の貯蓄率の高さは有名な話です。しかし、ここ数年に限っていえば、貯蓄率は低下傾向にあります。現実にはギリギリで生活している人々が多くなり、少しの余裕をするためのお金を貯金から崩す傾向が見られるようです。総所得は減るものの消費支出は変わらない、そして預金が減っていく。結果として金融機関の資産は目減りするわけで国債のリファイナンスが論理的に難しくなりますね。
Total Outstanding Debt
政府は既存の国債をリファイナンスしながら新規発行をしていく必要がありますが、日銀に「最後の買い手」機能を押し付けるのも一つの選択肢です。しかし、白川前総裁時代には引き受けにあまり乗り気ではありませんでした。

JGBの金利上昇によって全てが崩れてしまう、というのは言い過ぎかもしれません。国債保有のうち年金の様に償還まで保有する(簿価保有)の場合は金利の影響を受けません。しかし、銀行の様に時価で保有している場合はもろに金利の影響を受けるため金利が上がると買わなくなるでしょう。そうなれば外国人に頼らざるを得ない。外国人は当然リスクプレミアムとして高い金利を望むことになるわけで、今ある微妙なバランスが崩れてしまうのでは、と懸念します。

この件については巷間様々な記事やブログ等で議論されていることなのでこれ以上言及しません。僕はこうした議論の背景を提供したかったのです。もし突然悪化し始めても先程述べたように、短期的には日銀がいくつかの対処策を持っているし、大量に保有している米国債を売れば調達可能である、といった幾つかのオプションはあるでしょう。しかし、こんなことをすれば市場の信頼を一挙に失い、成長が衰え、社会が疲弊し、出来るはずだった幾つかのオプションも減っていってしまいます、こういう事態ってとっても嫌なことですね。

次回は、どうやってこういう事態が起こるのを防いでいくのかという質問に向き合って見ましょう。

民主主義という名目の変化(新しい選挙制度)

Shimpeiです。

以前このブログで現行選挙制度の違憲判決の話を話題にした時、現行制度の「1票の格差是正」より超高齢化社会における新しい選挙制度を考える時が来ているのでは、と書きました。

各高裁においての判決は「選挙無効」というのは2つのみでしたが制度については全て憲法違反との判断がなされましたね。とはいっても格差が2倍未満であれば違反にならないという前提での判決であって、選挙制度改革があったとしても、ますます高齢者は増え続けるわけで、これではOlegの指摘するような社会保障費削減によって財政改革を行う政治が台頭してくることはないかな、と私は思います。

消費税の税率5%アップで、政府は13.5兆円の追加税収を見込んでいますが、そのほとんどは高齢者への社会保障費(年金・医療・介護)に充てられます。政府(財務省)は、それだけではなく「未来(子ども)への投資」も使う、と宣伝しています。しかし、その額たった0.7兆円、将来の日本を支える世代へ消費増税の5%もって「未来への投資」といっています。あの2年前の「東日本大震災」の復興財源を捻出する際にも、引退世代が恩恵を受ける「公的年金」は削減対象にならなりませんでしたが、子育てを行う若い世代が恩恵を受ける「子ども手当」は真っ先に削減の対象となりました。

このような世代的な不均衡配分がまかり通るのは選挙区割りが地理的な区分けで、各地方の選挙区から選出された地域代表を通じて、社会全体の利害を議会に反映させるシステム、言い換えれば「高齢者」に圧倒的に有利な仕組みになっているからでしょう。

最近こうした視線でネット検索や本屋にお書棚に注目していくと以下の提案が見られます。

  • 井堀利宏・東大教授による「世代別選挙区制
  • 「有権者の世代」に応じて選挙区を配置し、議席を配分した上で、それぞれの世代の代表を選出する制度を提唱しています。
    世代の分割方法はいくつかのケースが考えられ、例えば、20~30代の「青年区」、40~50代の「中年区」、60代以上の「老年区」の3つの世代ごとの選挙が実施されれば全有権者に対して20~30代の有権者が占める割合は32.5%、40~50代の有権者が占める割合は32.7%、60代以上の有権者が占める割合は34.9%となり、青年区、中年区、老年区の議席数は概ね同等となり20~30代の議員数が倍増され、若い世代の望む政策が実施される可能性が高まります。

  • 竹内幹・一橋大学大学院経済学研究科准教授による「余命別選挙制度」(中央公論4月号

    各世代選挙区に、その世代の平均余命(あと何年の寿命があるか)に応じて議席(議員数)を配分し、投票権と余命をリンクさせることを提案しています。たとえば、いま25歳の人の平均余命は57年で、55歳の平均余命29年の約2倍。そこで、20代選挙区には議席を多く配分し、その有権者1人当たり議席数が、50代選挙区の2倍になるようにする。若さに応じて1票に格差をつけるわけです。移行期を除けば、生まれた年にかかわらず、どの人も生涯を通じて同じだけの投票力を持つので、「投票価値の平等」は担保される、というものです。

    国民一人ひとりが平等に権利と義務を持つのが民主主義。「1票の格差」を当て嵌めれば単
    に選挙区割りの不平等性を司法判断に仰いでいる現状ではこうした諸提案を含めて必要で
    ある改革が可能になるにはいつの日になるのでしょうか。

    国民の多数が「長期的に問題あっても現状はほぼ幸せなんです、何かあっても皆で渡れば怖くないでしょ。」といった短絡的な楽観主義から早く目覚めて現実を見つめ直し、
    動き始める時期を繰り延べする理由も余裕もなくなってきている、と私は考えますが。

  • 日本の心配事

    千駄木から見た市場経済 Vol.4

    みなさま、お元気ですか。Olegです。

    今回からは、社会保障支出の削減が絶対避けて通る事は出来ない、ということについて数回に分けてお話ししていきます。

    「財政上の大負債」に象徴されるように、日本は様々な長期的な課題を抱えていますね。
    その中でも投資を行う場合、
    1.経済成長 2.社会保障支出 3.経済の安定性 を重要課題として捉える必要性があります。

    「経済成長」について言えば、今のアベノミクスでワンサイクル(3~4年)経済成長する、といった観点ではなく、長期的には構造的に成長はありえるという話ですから、必ずしも今の政権が強調している政策や分野からは生まれてくることではないかもしれません。

    「社会保障支出」は削減が必要で、仕方なく削減されます。しかし、その実行にあたっては前にも指摘している政治システム(選挙制度)の改革が行われない限り根本的な削減にはなりませんね。

    「経済の安定性」については、今のアベノミクスでお金を増刷したり国債を増やすことで成長を加速させたいという政策を取り始めようとしていますが、これでは不安定になる確率が高まります。

    「経済危機」のような不安定な状況は2、3年で訪れることはないものの5~8年で考えるとありえる、起こりやすくなりますね。繰り返しになりますが「経済危機になる」ということではなく「より不安定な状態になりやすくなる」という指摘です。ただし、ギリシャのように急に悪化してどうしようもない、ということにはならないでしょうが、財政状態が悪化し始めたらゆっくり進んでいくのでしょうか。2、3年かけてゆっくり悪くなっていく間に色んな信号が出て、そこで政治的な改革も進む、と僕はこうした調整が可能で充分に間に合うと楽観視しています。

    ただ、一部の課題については日本は何もすることが出来ませんね。「高齢化社会」という現状は10~30年間、為す術がありません。仮に出生率が上がったとしても新しい稚児達が労働人口に達し納税を始める20年先まで投資家も納税者もプラス効果を期待出来ないのです。

    高齢化、少子化は固定化している問題です。したがって日本は定年退職者人口が減少し始めるまで頑張り続けなくてはならないのです。
    しかし「経済的な安定性」については充分な注意が必要です。それがどういうことなのかは、次の記事で詳しくみていきたいと思います。

    安心と覚悟

    Shimpeiです。

    楽しい団欒の合い間で今マスコミが話題にしているような「選挙制度違憲判決」なり「デフレ脱却」みたいな話がでてくることがありますね。
    プライベートな仲間とのこうした会話の後に多いのは「(日本)は行き詰まってるんですかね」とか「自分が考えたところでどうしようもないね」といった発言が多くなっています。
    その瞬間の雰囲気は「閉塞感漂う」という感じで一杯。でも認識を共有するレベルには到達しないうちに「他人事」として、まもなく消えてなくなってしまう事が繰り返されています。その根底には「最後には何とかなるだろう」という楽観的な見方が見て取れますね。

    この国が他の国々と同様に様々な問題を抱えている、ことは事実なんですが赤字国債を膨大に発行して大赤字になっている国の財政問題一つを取っても、今も発行した分の赤字国債は国内の金融機関と年金によって引受けられてるわけで、イタリアのように具体的な危機が露呈しているわけではないし、その気配すら見えてきません。
    庶民にとってみれば消費税率の引き上げという「改革の始めの一歩」である具体的なプランが発表されて、一抹の不安を抱えながらも日々それなりに現状維持レベルでは問題なく生活出来ているわけです。
    今回の選挙で自民党が政権を握りアベノミクスという政策転換によってメンタルな景況観が好転し始めていて、我慢していた現状維持の生活さえ上方するのではないかという気分が漂っている。円安、株価上昇によって一時的に潤ったとしても、この間にも国家財政は日々悪化していきます。

    そもそも国民にとってみれば日々起こる問題には熱心であっても長期的に起こり得る問題を認識するという事は難しい課題なのでしょうか。これだけ諸問題の先送りを続けてきた先には問題ばかりが脈々と立ちはだかっているはずです。

    財政に限らず選挙制度、雇用、教育等の構造的な問題の改革も急がれます。しかし、その改革には既得権益の見直し規制緩和が必要であり、やるとすれば当然のことながら大変な混乱と痛みを伴う事になりそうですが現状では「空気の読み方」に一生懸命になって何もしないで終わってしまうという事でしょうか。

    突然に危機が訪れて混乱が起こる手前で柔軟な仕組みを作り「安心と覚悟」を持つ余裕だけは持っていたいものです。