スチュワードシップ・コードは日本のコーポレート・ガバナンスに「維新」をもたらす?

今回はGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)とFSA(金融庁)関連の委員会が出したスチュワードシップ・コードについてつぶやいてみます。これ、最近の株式市場にも影響しているような気がするんです。

スチュワードシップ・コードはもともとイギリスでまとめられたものです。スチュワードというのは、きちんと責任をもって人の面倒を見る、という意味で、運用の世界では、機関投資家が受託者として、顧客である投資家の利益を守るような行動をとらなくてはならない、ということになります。つまり発言株主として、株主にとってのリターン、例えばROEの向上や株価が上がるような政策といった企業価値が最終的に拡大するように「もの」を言い、行動をとる、ということです。

FSAが日本版スチュワードシップ・コードを発表したのは2月ですが、いままた話題になったのは、つい最近GPIFがそれを受け入れると発表したからです。これはすごくインパクトのある話でした。なぜならGPIFはその行動が株価を動かしてしまうくらい巨大な、影響力のある投資家だからです。

GPIFのような公共機関が民間企業や組織に影響を与えるのは法的にふさわしくない、というのが日本の考え方です。

もしGPIFが企業に対して、「ROEが下がったら売りますよ」とか「株主提案をパブリックにしますよ」ということを言えば、非常に強力な効果が期待できます。しかしGPIFの姿勢は「我々は公共機関なので、あくまでもファンドマネージャーにその権利を委ねて、ファンドマネージャーが正しい行動をするであろう、という前提でやっていきます」というものです。

この姿勢はあいまいに感じられますが、日本の伝統的な考え方からすれば、現時点でGPIFができる最大限のことでしょう。前回のブログで触れたタイヨウパシフィックのように明確な基準に基づいて株主価値を上げるべく企業と対話できるような投資家を任命することによって、GPIFとして企業にメッセージを送るということですから。

こうして見ていくと、日本のコーポレート・ガバナンスに「維新」が起きているんじゃないかとも思います。そもそも「維新」というのは日本にしかない言葉です。江戸時代末期に、海外の「革命」と同様の大きな変化をもたらしたものが、「革命」よりは穏健な「維新」でした。今回GPIFによるスチュワードシップ・コードの受け入れが、株式市場、そして日本のコーポレート・ガバナンスに対する「維新」になれば、と望みたいところです。