好調な市場を維持するアイデア、
決して論理的な裏付はありませんが((*゚▽゚*)

Olegです。

政府は上場株式等の譲渡益、配当金等に対する軽減税率(10%)を来年1月以降本来の税率(20%)に戻す、というのですが私は「異議あり」です。
投資家の身になって考えれば変更直前の12月に売却するインセンティブを与える事になりますね。彼らにとってみれば10%のリターンを失うことになってしまうからですからです。
政府はこの軽減税率特例の廃止に対応するかのように新たにNISA(少額投資非課税制度)をスタートさせます。大手証券を中心に大キャンペーンが行われていますが毎年100万円までの上場株式、公募株式投信については5年間譲渡益、配当等が非課税になるというものです。「免税」ということで株式市場への一般市民の参加は拡がるでしょうね、素人の参加者が増えることはあっても「投資」という意味では現状のコアな投資家には何のメリットはないわけで軽減税率特例を続ける方が市場にとっては大きなメリットになるでしょう。

また、来年4月に予定されている3%の消費税率引き上げについても出来たら中止すべきだと思います。このブログでも述べてきたように日本財政の構造改革にとって消費税値上げは不可避だという持論に変わりはありません。僕が考えているのは欧州並みに20%までの引き上げが必要だと思っているので、3%の引き上げを2014~2015年まで遅らせたところで大きな影響はない、であれば戦術的に市場の好調を維持して経済成長させる事にすべきではないかと考えます。

こうした施策が行われればこの市場は2014年までは「好調」に推移するでしょう。
但しその大前提は米国経済が好調であり続けることなのですが。

日本人は「自分を守る意識」がない?

日本の不思議 Vol.1

Olegです。

私は車を運転しますが特に夜の運転には神経を使います。
道路が狭いことに加え大震災以降の「節電」もあってか道は暗く見えにくいと感じます。歩いている人も自転車も車が避けてくれることを前提にしているかのようにとても安全とは思えない「歩き方や漕ぎ方」をして私を毎回戸惑わせるのはどうしてでしょう。
夜中に通行することの「危険性」や「身を守る」事への意識がいささか不足しているのではないかと思ってしまいます。事故や災害に遭遇した際に自分を守る、という「危険性」に対する教育や具体的な規制が何故か進んでいないことがとても不思議でなりません。

私の故郷エストニアでは夜中の歩行にはリフレクター(反射バンド)の装着が法律で義務付けられています。違反すれば罰金です。英国でも自転車に乗る際には反射ベストを着ることが義務化されて違反は有罪です。

Reflector
(出所:全日本交通安全協会

こういう法的な規制実施をみると日本との「安全」に対する見方の違いが明白ですね。
安全を政府が法律によって担保することで自己責任を明確にして社会コストを低減し 収入(罰金)を得る。国民もまた自分を自身で守るルールが当たり前の社会なんでしょうが。政府当局の対応も「個人の行動についての規制」にはとても慎重に見えます。
多くの日本人は政府や大きな組織の圧力には反応し易い、と言われていますが「個人」についての当局の踏込は「歩きタバコ」すら規制出来ない、というのが現実です。今まで述べてきた国の財政や年金の中で議論されている「国民総背番号制」にしても話が進まないのはこうした慎重さに大きな原因があるのでしょうか。

ただ単に「美味しそうな詐欺話」だったMRI、いったい誰が売って?誰が買って?
こうした金融商品についても「危険」についてのキャンペーンが必要な気がしてなりません。

みなさん気を付けて。

「アメリカ人」と「アメリカ市民」

ハーグ条約参加承認で思ったこと

Shimpeiです。

ニューヨーク生まれのハーフの息子が初めて成田に降り立ったのは7歳の時でした。
入国審査で審査官が息子に
「Are you American? (あなたはアメリカ人ですか?)」
という質問に対して息子は
「I’m not native American, but American Citizen (僕はアメリカインディアンではありません、アメリカ市民です)」
と答えました。

ご承知だと思いますがアメリカには戸籍制度がありません。息子が生まれた時、私と女房は正式な夫婦ではなく日本では私生児扱いになるのでしょうがアメリカで出生した全ての子供はまず「アメリカ市民」として戸籍に代る「出生証明書」によって登録され私と彼女がサインをすればそこで初めて「親権」を得る、というシステムであると初めて知って驚きました。ようは我々が「親の権利」をサインすることによって示す、というだけではなく「親権」を認めるなら18歳までの息子の養育義務契約を政府と結ぶ、ということなんですね。この契約によって
① 養育義務の不履行による離婚(別離)した男性の大量逮捕
② 子供へのDVによって親権法的放棄(2度と子供に会う事を禁じられる)
③ 離婚後も親権をどちらかが放棄しない限り子供が常に会える距離に居住すること
④ 親子心中は最も重罪刑に処される
など「子供は自分のものじゃない」っていう、日本とまったく違う認識というか文化に戸惑っていた、というのが正直なところでした。 私の近所に離婚して子供と暮らす日本人の女性がいたんですが 「養育費も送ってこない、親権放棄しろっていっても無のつぶて、日本の実家に帰りたくてもそれは誘拐だってことだし。」とノイローゼ気味でしたね。

ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)がたった2日間の審議で参院承認されましたが今まで述べてきたように子供の帰属が明白に違う文化の国との間で締結された条約なわけでもうちょっと慎重であるべきだ、と私は思っています。

我々の業界も含めてグローバル化に歯止めがかからない状況ですが、そのモデルとなっているアメリカの個人、その出生あたりから認識の違いを理解することは必要かと思い書かせていただきました。

アメリカで「自己管理能力」を指摘された事

Shimpeiです。

移民後「庶務雑務」から証券業界でスタートした私でしたが1995年以降、日本企業の海外IRが始まりその責任者になる機会を得たことでプロフェッショナルとして順調にキャリアを伸ばすことが出来ました。証券会社にとってIRアレンジをするメリットは会社と投資家のミーティングをセットすることで投資家からの手数料収入の増収につながる、ということですが旅行中の企業トップのお世話は全て私の責任ということになっていて心身共にとても疲れる仕事でした。
日本企業の決算後、株主総会後には毎週のように複数の日本企業のトップのミーティングアレンジからアコモデーションに至るまで全てをチェック(携帯もなかった時代もありましたよ)私もニューヨーク→ボストン→シカゴ、デンバー→LA、SFと全米の有力投資家を東から西に訪問、3時間の時差を超えて往復することが数週間続くことがありました。
日本企業が来ない週にはいつも「体調不良」を理由に1日か2日休みを頂く、それでなければ持たない仕事でした。
そんな時期、休んで出勤した朝、いきなり上司のMD(マネージングダイレクター)の個室に呼ばれたのです。

上司:仕事はとても良くやってくれてるね、でもこの体調不良理由の休みはね
私  :時差ボケもあって大企業の社長相手だと疲労感が残って
上司:わかってるよ、休んじゃいけないっていうつもりはないさ、問題は休む理由だよ
   体調不良っていうのは自己管理能力がない、と判断されてしまうよ
私  :じゃあ、どう書けば
上司:僕だったら家族の理由、例えば「家族がいつも出張ばかりだから今日は家にいて、っていうリクエスト」があったとか
私  :(無言)
上司:君も部下もいるんだし「自己管理能力」がない、と判断されたら次の昇進に問題でてくるよ、僕は推薦したいんだけど
私  :家族理由?
上司:Be Smart Shimpei, That’s all.

日本では未だにアメリカ人はとても家族を大切にする、家族が病気だと連絡があれば急いで帰宅する亭主がほとんどなんだ、とか「家族第一主義」が礼賛されているようですが、その大半が事実だったとしてもこのように「自己管理能力」と引き換えに使われる「家族」もあるのだと(苦笑)。

ニューヨークでの自己責任初体験

Shimpeiです。

「移民」としてニューヨークに行ってまもなく労働許可証(working visa)を取得し勤め始めた当初に起こった「自己責任」にまつわるお話です。
1985年、外国での初めての勤務の初日、日本人の私は当然の事ながらオフィス生活に必要な「私物」を持って出勤、与えられた机の引き出しに収納しました。ウォークマンや計算機、ライターなど多少金目の物もありました。とはいえ社内はセキュリティ(守衛)もフロアーごとに配置されて一見安全で安心な環境でしたから「盗まれる」なんてまったく考えてもいなかったんですが。
週明けに出勤してみると、、、机の引き出しから全ての私物がなくなっていました。
「社内で盗難」日本では考えられない事実に直面して怒り露わにセキュリティに告げると彼は「落ち着けよ、ところで週末引き出しのカギをかけて帰ったのかい?」と平然として
聞いてきます。
私、「カギ、かけてない、社内なんだし」
彼、「それは貴方の過失だよ、あなたの自己責任だよね」
現場を見に来てくれるわけでもなく、私のミスを指摘し、上司に報告するからとなくなったアイテムをメモしただけでした。
泥棒さんも悪いけど、捕られた側も不備があれば「自己責任」となる、そういう社会に住み始めたんだな、という体験でした。

米国で金融商品取引(主にリテール)のセールス教育プログラムに参加した時に割かれた時間の大半は「自己責任原則」をどう顧客に理解させるか、という事でした。
要は「取引において損失を被ったとしても、投資家が自らのリスク判断でその取引を行った限りは、その損失を自ら負担するという」という原則なのです。
商品を持ち込むのはセールス、商品の組成は会社であるわけで自分達を守るために、納得して購入したんだから損失責任の所在は顧客ですよ、とわざわざ強調している気がしましたね。

財政問題への対策の遅れ

千駄木から見た市場経済 Vol.8

みなさん、お元気ですか。Olegです。

これまで数回に分けて、日本財政の変化、今後の展望についてその背景となっている事象について詳細に説明してきましたが今回が最終章となります。

一般会計
(出典: 内閣府)    

上記は日本の10年先までの日本の一般会計を示していますが、日本と日本政府に変化が見られますか?僕の答えはYes、ドラマチックに変わってきていると思いますね。
海外の日本を批判する人々は「日本は政治家もダメだし、国自体がダメだよね」繰り返し言っていて、一部の日本人もそういう風に思っているように思えます。
でも実際に政府の政策、国としての問題意識のレベルを客観的にみると全然違って見えます。正しく理解しているし、やるべき事はやっているのではと僕は考えます。

日本政府の対策が遅すぎないだろうか?という疑問については僕も賛成ですね。対策が遅れている理由は次の2点ではないでしょうか。
1つは何回も指摘してきた従来の選挙制度によって税金の支払いが少ない高齢者の住む過疎の進む地域に有利な区割りになっているため同じ政党が長期に渡って権力を維持する構造が変らない事です。
公平性(1票の格差を是正すること)が建前上の目的になってしまっている(日本の国民はまるで社会主義国に住んでいるようだと言うでしょう)。
日本は今でも、これからも変わることが出来ますが、それは公平性の議論が進むことで改革が訪れる、というよりはそのきっかけは政治支配の変化ではないかと考えることもあります。ちょっとした経済危機の到来、あるいはカリスマ的指導者の登場、どっちが先になるかはわかりませんが。

遅い、と思う理由の2つ目は、今日本が抱えている問題というのは今までどの他国も経験したことのない結構新しい問題であり便利な解決策や教科書通りの解決策は見当たりません。長期的に大きく変わる事なのでそれを認めるのには時間がかかる、ということです。つまりゆっくりとして未来にしか起きない変化というのは認識することが遅くなるし、積極的には処理出来ない事なのではないでしょうか。
例えば日銀総裁だった白川氏が会見の中で出生率に関する長期見通しに対する自らの誤りを「出生率が低下した時、その低下を一過性のもので長期的には回復すると認識したため通常5年おきに再計算される出生率予測は公的年金等の設定の際に基礎データとして用いるわけだが、我が国の出生率予測を1976年から出生率が2に回復するという前提でこの数字を年金支出を決める際に使っていたが、1992年になってこの認識を改め出生率が2を大幅に下回るという前提に切り替えた。」と述べていることからも理解できますね。

今回まで述べてきた「社会保障費支出」を含めた諸問題は「日本が極めて真面目な社会である」ことによって起った事実として捉え、今後もその変化について観ていこうと思います。
今回お話できませんでしたが、経済成長は非常に重要です。政府の長期的なシナリオである実質2%のGDP成長は出来ますかね?これについては近いうちに解説しましょう。

次回からは新しいテーマでお話していこうと思っています。

「期待」と「現実」と「将来」

Shimpeiです。

安部内閣の支持率が78%、日銀の金融緩和策の支持率も58%(いずれも日経新聞)と同政権への期待は無党派層にも広がり最高潮に達しています。
実際に超円高は解消され 株式市場も株価、出来高とも回復、TTPへの交渉参加も承認されたことで景気回復への環境は整えたね、というのが支持率アップに繋がっているのでしょう。ここからは国民の個人消費向上と企業の成長と利益が確実のものとなり「景気回復、経済成長」が実現されるか否かにかかっているのでしょう。

こういう時勢に賃上げが可能なのは大企業、そこで働く終身雇用の社員達が個人消費を伸ばすことが大きく期待されているわけですが、彼らが加入している大企業の健康保険組合が相次いで保険料利率を上げている、という気になる記事が日経に掲載されていました。退職した高齢者の医療支援の負担増によって各健保組合の財政が悪化している、ということで現役世代からの支援金を増やす方策が利率の引き上げなのです。

医療に加えて年金や介護の社会保険料も上昇する、との調査結果がみずほ総研から出されています。2013年度の給与総額は前年度から0.8%増加し4万6748円となる見通しですが本人の保険料負担増が2万5,676円と給与増額の5割強になるという調査結果があります。せっかく上がった給料の増額分の半分以上が社会保険料というのでは、負担増があまりに大きく、消費の足かせになりませんかね。

私から見れば現在の政府が出してくる諸政策の多くは選挙用の「支持率」向上の為のものが多いな、と感じられます。確かに一時的ではあれ政治に対するポジティブな「安定感」を国民に与えている事が支持率の高い理由なのでしょう。
しかし将来を見据えた時に足かせになっている今回のような社会保障制度の見直し等、様々な問題に対する積極的な姿勢、根本的な社会政策、ほんとうの意味での分配の基準を考えた施策というのは見えてはいません。
困難承知で「自制の効いた共存共栄」が可能な国造りを目指す、そんな政権でなければ実際の「改革」は困難ではないか、と私は考えます。

年金関連の解決策

千駄木からみた市場経済 Vol.7

みなさん、お元気ですか。Olegです。

今回は年金関連のいくつかの解決策を考えてみようと思いますが、下のチャートを見ると日本の総支出の50%以上が年金となっていますね。
社会保障費
出典:IPSS

僕の考える解決策は以下の3つです。

・定年(年金給付)年齢を70歳まで引き上げる。
歴史的に定年年齢に達した男性の平均余命は15~17年(OECDデータ)とされていましたが日本では2010年で約20年に伸びており、この理論で日本は定年年齢を67歳にしては、との答申が出ています。医療の進歩など更に寿命が伸びる可能性もあり70歳まで引き上げても先進国のこれまでの平均余命の範囲内に収まります。

・年金に課税する
年金課税は理論的にとても説得力があります。年金に課税する事で定年退職し年金を受給するより働くことが得になるような仕組みを作るべきです。働いて収入は落ちるが働いていれば所得税が低い、といった税優遇処置(高齢者特別減税など)を設け、結果として年金受給者を減らすことが出来ます。

・医療制度改革によって高齢者の自己負担率を上げる
現在、75歳以上の個人医療負担は10%で歳を重ねるほど医療を受け易い、言い換えればそれだけ国の負担が非常に大きくなっていきます。厚労省の予測では2025年には政府の医療関連支出の約半分の56兆円が75歳以上の人々に使われるという試算があります。(これについては様々な予想数字が飛び交っていますがこの56兆円は最新予測の中で最も高いものを取り出してみました。)
現行の10%負担を20%~30%に引き上れば年間2.5~5兆円の節約が可能です。こういった削減は当然の事ながら痛みを伴う改革であるのは承知の上で提案しています。

それでは今まで提案してきた増税、削減(節約)の諸施策によってどのくらいの増収が見込めるかを以下にまとめてみます。
・消費税を20~25%増税することで           年間30~40兆円
・定年(年金給付開始)年齢を70歳まで引き上げ   年間    10兆円
・75歳以上の医療個人負担を10%から30%に    年間     5兆円
・提案した他増税など複数の斬新的な改革を実施  年間           5兆円
合計:60兆円の増収が期待出来るので歳入歳出の問題は全て解決するはずです。しかし、前から指摘しているようにこれらの改革に大きく立ち塞がるのは政策実行を行う政府にあります。
とは言え、旧野田内閣が改革にとって重要な第一歩である消費税を15%まで引き上げる、という決断をしたように変化出来る可能性はありますね。年金の改革となれば現在の選挙制度のもとで多数派である高齢有権者の反発が予想され一層の困難が予想されますが、選挙制度改革が起これば強い追い風となるでしょう。