「アメリカ人」と「アメリカ市民」

ハーグ条約参加承認で思ったこと

Shimpeiです。

ニューヨーク生まれのハーフの息子が初めて成田に降り立ったのは7歳の時でした。
入国審査で審査官が息子に
「Are you American? (あなたはアメリカ人ですか?)」
という質問に対して息子は
「I’m not native American, but American Citizen (僕はアメリカインディアンではありません、アメリカ市民です)」
と答えました。

ご承知だと思いますがアメリカには戸籍制度がありません。息子が生まれた時、私と女房は正式な夫婦ではなく日本では私生児扱いになるのでしょうがアメリカで出生した全ての子供はまず「アメリカ市民」として戸籍に代る「出生証明書」によって登録され私と彼女がサインをすればそこで初めて「親権」を得る、というシステムであると初めて知って驚きました。ようは我々が「親の権利」をサインすることによって示す、というだけではなく「親権」を認めるなら18歳までの息子の養育義務契約を政府と結ぶ、ということなんですね。この契約によって
① 養育義務の不履行による離婚(別離)した男性の大量逮捕
② 子供へのDVによって親権法的放棄(2度と子供に会う事を禁じられる)
③ 離婚後も親権をどちらかが放棄しない限り子供が常に会える距離に居住すること
④ 親子心中は最も重罪刑に処される
など「子供は自分のものじゃない」っていう、日本とまったく違う認識というか文化に戸惑っていた、というのが正直なところでした。 私の近所に離婚して子供と暮らす日本人の女性がいたんですが 「養育費も送ってこない、親権放棄しろっていっても無のつぶて、日本の実家に帰りたくてもそれは誘拐だってことだし。」とノイローゼ気味でしたね。

ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)がたった2日間の審議で参院承認されましたが今まで述べてきたように子供の帰属が明白に違う文化の国との間で締結された条約なわけでもうちょっと慎重であるべきだ、と私は思っています。

我々の業界も含めてグローバル化に歯止めがかからない状況ですが、そのモデルとなっているアメリカの個人、その出生あたりから認識の違いを理解することは必要かと思い書かせていただきました。

アメリカで「自己管理能力」を指摘された事

Shimpeiです。

移民後「庶務雑務」から証券業界でスタートした私でしたが1995年以降、日本企業の海外IRが始まりその責任者になる機会を得たことでプロフェッショナルとして順調にキャリアを伸ばすことが出来ました。証券会社にとってIRアレンジをするメリットは会社と投資家のミーティングをセットすることで投資家からの手数料収入の増収につながる、ということですが旅行中の企業トップのお世話は全て私の責任ということになっていて心身共にとても疲れる仕事でした。
日本企業の決算後、株主総会後には毎週のように複数の日本企業のトップのミーティングアレンジからアコモデーションに至るまで全てをチェック(携帯もなかった時代もありましたよ)私もニューヨーク→ボストン→シカゴ、デンバー→LA、SFと全米の有力投資家を東から西に訪問、3時間の時差を超えて往復することが数週間続くことがありました。
日本企業が来ない週にはいつも「体調不良」を理由に1日か2日休みを頂く、それでなければ持たない仕事でした。
そんな時期、休んで出勤した朝、いきなり上司のMD(マネージングダイレクター)の個室に呼ばれたのです。

上司:仕事はとても良くやってくれてるね、でもこの体調不良理由の休みはね
私  :時差ボケもあって大企業の社長相手だと疲労感が残って
上司:わかってるよ、休んじゃいけないっていうつもりはないさ、問題は休む理由だよ
   体調不良っていうのは自己管理能力がない、と判断されてしまうよ
私  :じゃあ、どう書けば
上司:僕だったら家族の理由、例えば「家族がいつも出張ばかりだから今日は家にいて、っていうリクエスト」があったとか
私  :(無言)
上司:君も部下もいるんだし「自己管理能力」がない、と判断されたら次の昇進に問題でてくるよ、僕は推薦したいんだけど
私  :家族理由?
上司:Be Smart Shimpei, That’s all.

日本では未だにアメリカ人はとても家族を大切にする、家族が病気だと連絡があれば急いで帰宅する亭主がほとんどなんだ、とか「家族第一主義」が礼賛されているようですが、その大半が事実だったとしてもこのように「自己管理能力」と引き換えに使われる「家族」もあるのだと(苦笑)。

ニューヨークでの自己責任初体験

Shimpeiです。

「移民」としてニューヨークに行ってまもなく労働許可証(working visa)を取得し勤め始めた当初に起こった「自己責任」にまつわるお話です。
1985年、外国での初めての勤務の初日、日本人の私は当然の事ながらオフィス生活に必要な「私物」を持って出勤、与えられた机の引き出しに収納しました。ウォークマンや計算機、ライターなど多少金目の物もありました。とはいえ社内はセキュリティ(守衛)もフロアーごとに配置されて一見安全で安心な環境でしたから「盗まれる」なんてまったく考えてもいなかったんですが。
週明けに出勤してみると、、、机の引き出しから全ての私物がなくなっていました。
「社内で盗難」日本では考えられない事実に直面して怒り露わにセキュリティに告げると彼は「落ち着けよ、ところで週末引き出しのカギをかけて帰ったのかい?」と平然として
聞いてきます。
私、「カギ、かけてない、社内なんだし」
彼、「それは貴方の過失だよ、あなたの自己責任だよね」
現場を見に来てくれるわけでもなく、私のミスを指摘し、上司に報告するからとなくなったアイテムをメモしただけでした。
泥棒さんも悪いけど、捕られた側も不備があれば「自己責任」となる、そういう社会に住み始めたんだな、という体験でした。

米国で金融商品取引(主にリテール)のセールス教育プログラムに参加した時に割かれた時間の大半は「自己責任原則」をどう顧客に理解させるか、という事でした。
要は「取引において損失を被ったとしても、投資家が自らのリスク判断でその取引を行った限りは、その損失を自ら負担するという」という原則なのです。
商品を持ち込むのはセールス、商品の組成は会社であるわけで自分達を守るために、納得して購入したんだから損失責任の所在は顧客ですよ、とわざわざ強調している気がしましたね。

「期待」と「現実」と「将来」

Shimpeiです。

安部内閣の支持率が78%、日銀の金融緩和策の支持率も58%(いずれも日経新聞)と同政権への期待は無党派層にも広がり最高潮に達しています。
実際に超円高は解消され 株式市場も株価、出来高とも回復、TTPへの交渉参加も承認されたことで景気回復への環境は整えたね、というのが支持率アップに繋がっているのでしょう。ここからは国民の個人消費向上と企業の成長と利益が確実のものとなり「景気回復、経済成長」が実現されるか否かにかかっているのでしょう。

こういう時勢に賃上げが可能なのは大企業、そこで働く終身雇用の社員達が個人消費を伸ばすことが大きく期待されているわけですが、彼らが加入している大企業の健康保険組合が相次いで保険料利率を上げている、という気になる記事が日経に掲載されていました。退職した高齢者の医療支援の負担増によって各健保組合の財政が悪化している、ということで現役世代からの支援金を増やす方策が利率の引き上げなのです。

医療に加えて年金や介護の社会保険料も上昇する、との調査結果がみずほ総研から出されています。2013年度の給与総額は前年度から0.8%増加し4万6748円となる見通しですが本人の保険料負担増が2万5,676円と給与増額の5割強になるという調査結果があります。せっかく上がった給料の増額分の半分以上が社会保険料というのでは、負担増があまりに大きく、消費の足かせになりませんかね。

私から見れば現在の政府が出してくる諸政策の多くは選挙用の「支持率」向上の為のものが多いな、と感じられます。確かに一時的ではあれ政治に対するポジティブな「安定感」を国民に与えている事が支持率の高い理由なのでしょう。
しかし将来を見据えた時に足かせになっている今回のような社会保障制度の見直し等、様々な問題に対する積極的な姿勢、根本的な社会政策、ほんとうの意味での分配の基準を考えた施策というのは見えてはいません。
困難承知で「自制の効いた共存共栄」が可能な国造りを目指す、そんな政権でなければ実際の「改革」は困難ではないか、と私は考えます。

「日米同盟」片想いでしょ。

Shimpeiです。

今回はちょっと話題を変えて(笑)
私は今年で日本に帰って10年、それ以前、約20年ニューヨークとその近郊で生活していました。今回は「移民」として生活を始めた当初(1980年代後半)の体験と、感じたことを書きます。

当時、日本についての話題といえば「日本の経済成長」の話でした。ニューヨークには全ての主だった金融機関が現法支店を構えており、加えて地銀も約30、第二地銀も数行が支店を出す等賑やかな金融コミュニティーが出来上がっていました。私も日系証券に現地採用で雇われていたんですが。
日本の本社から来て駐在する「派遣社員」という特別手当で厚遇され郊外の高級住宅街に住んで週中のゴルフ、夜のピアノバーとエンジョイしているエリート日本人を横目で見ながら現地採用の白人課長も有色人種の平社員(私もそうでしたが)から出てくる常套句、「日本が成長出来たのはアメリカが軍事負担をしていたからよ、軍備の必要なければこの程度の成長は当たり前」同じようなコメントは中学か高校で教えられていたのか、多くの一般の人々からも言われたものです。

当時のレーガン大統領と中曽根首相の首脳会談、日本では「ロン&ヤス」蜜月の友好関係などと言われていましたが私には「地球人と宇宙人」の面談にしか見えなかったですね。
人種文化の差、大西洋を越えて見られている極東という地勢以上に二人の距離感の差は歴然としていた、と感じた事を今でも思い出します。
同じ頃度々行われた緊張関係にあったレーガン大統領と旧ソ連のゴルバチョフ首相の喧々諤々の会談をTVで見ていると「兄弟喧嘩」に見えてくるのが不思議でした。

その後ある証券会社のエコノミストと日米関係の話になった時、彼が曰く「米国側からみて経済的に友好関係であったことなど一度もないさ、言い表すと「脅威と不満」、理論想像を超えて成長してしまうことへの「脅威」とダメになったとき面倒みるのかよ、という「不満」かな」

最近当たり前のように使われ、強調される「日米同盟」という言葉、辞書では「国家が共通の目的を達成するため、同じ行動をとることを約束すること。また、その約束によって生じた関係」とありますが TPP等に見られるように米国の目的は自らのグローバル戦略上の僅かな部分でしかないはずで必ずしも日本の想いに見合うものではないはずです。すがって生きる後生ではなくいつの日にか再び米国に「脅威」を与えるような成長をしてみたいものですね。そうすれば一時的とはいえ「同盟」のチャンスは巡ってくると想うのですが。

大きな地方都市が毎年消える(人口28万人減)

Shimpeiです。

16日出た総務省統計局の人口調査によれば、去年10月1日現在の総人口は1億2751万5千人で前年比28万4千人(0.22%)の減少で平成23年に25万9千人、2年連続の大幅な減少です。28万、其々の永眠先は様々でしょうが塊としてみれば、三重県津市や新潟県長岡市の総人口に匹敵します。これからは毎年こういった地方主要市規模の群集が消えていくことが続くのですね。

総人口に占める割合の推移をみると、年少人口(0~14歳)は、昭和50年(24.3%)以降一貫して低下を続け、平成24年(13.0%)は過去最低となっています。
生産年齢人口(15~64歳)は、昭和57年(67.5%)以降上昇していたが、平成4年(69.8%)にピークとなり,その後は低下を続けています。
老年人口(65歳以上)はついに団塊の世代が65歳に達したこともあって3079万3千人で104万1千人の増加となり,初めて3000万人を超えました。なお、75歳以上人口は1519万3千人で48万5千人の増加です。昭和25年(4.9%)以降一貫して上昇が続いており、平成24年(24.1%)は過去最高となっている。なお、75歳以上人口は上昇を続け、平成24年は11.9%となっています。

人口減を食い止める施策として外国人の移民促進、子育て等言われていますが今回の公表では外国人は社会増減(入国出国数)で見ると4年連続の減少で5万6千人減また出生率も平成24年は104万7千人で前年に比べ2万人以上減少しています。

国立社会保障人口問題研の公表を見ても人口が減り続けながら老年人口が増え続けていくことは必至、あと10年で65歳以上が人口の30%を超えてくるのは確実なわけで、今から削減、節約を行い、取れるところから税を取る手段を見出さなければならないはずで、このままで行けばオレグが説明している背景の中で財政経済に与える直接的なダメージが見えてくるのは明白です。

政治家は国民(選挙民)に向かって心地良い囁き、「現状維持」や「幸せな今をもたらした功績」を繰り返したり、国民が持っている漠然とした将来への不安や不満を「中国や韓国、北朝鮮に舐められてどうするんだ」と外に注目させ、「改憲」という筋道をもってこれが「将来の国策」である、というようなやり方ではなく、将来の安心のために必要な、きっと国民が嫌がる改革案、今後強いていただく具体的な負担について語れるだけの信頼関係を選挙民との間に構築すべきなのですが。

「0増5減」何と姑息な

Shimpeiです。

自民党は「0増5減」を含む公職選挙改正法案を衆議院に提出し、5月中の成立を目指しています。与党の改定案によって17都県42選挙区の見直しが行われ、一票の格差は1.998倍まで縮小されると見込まれています。
「ひとり1票が2票差以上にならなければ合憲」という1票の格差を巡る司法の過去の判断をもとに最近各高裁で出された選挙無効を含む判決を何とか潜り抜けよう、という思惑しか感じられません。

政府はまずは「3党合意」に基づいた選挙制度改革の第一歩だ、と譲る気配を見せませんが「2対1.998」って発想しか持ち合わせていない事が一番の問題なのではないかと。

対する民主党案にしてもやはり「2対1.8」。野党に目立つのは定数削減を含めて現行選挙制度の改正を行うべき、というのが「反対」の旗印になっていますが、「1票の平等(格差是正)」と定数削減は別次元のことで政治家はまず「2対??」の発想でなく「1対1」にどう近づけるか、そのための選挙制度とは?というところから議論を始めるべきなのかと考えます。

私から見れば与党も野党もリストラ直前のサラリーマンのよう、でも自分たちが決めるものだと互助組合員の形振りで冗漫に見えます。

とてもこの国の将来を立て直すために選ばれた「立法者」として「深淵な発想」持っている議員はどこにもいない、と思うのは私だけでしょうか。

民主主義という名目の変化(新しい選挙制度)

Shimpeiです。

以前このブログで現行選挙制度の違憲判決の話を話題にした時、現行制度の「1票の格差是正」より超高齢化社会における新しい選挙制度を考える時が来ているのでは、と書きました。

各高裁においての判決は「選挙無効」というのは2つのみでしたが制度については全て憲法違反との判断がなされましたね。とはいっても格差が2倍未満であれば違反にならないという前提での判決であって、選挙制度改革があったとしても、ますます高齢者は増え続けるわけで、これではOlegの指摘するような社会保障費削減によって財政改革を行う政治が台頭してくることはないかな、と私は思います。

消費税の税率5%アップで、政府は13.5兆円の追加税収を見込んでいますが、そのほとんどは高齢者への社会保障費(年金・医療・介護)に充てられます。政府(財務省)は、それだけではなく「未来(子ども)への投資」も使う、と宣伝しています。しかし、その額たった0.7兆円、将来の日本を支える世代へ消費増税の5%もって「未来への投資」といっています。あの2年前の「東日本大震災」の復興財源を捻出する際にも、引退世代が恩恵を受ける「公的年金」は削減対象にならなりませんでしたが、子育てを行う若い世代が恩恵を受ける「子ども手当」は真っ先に削減の対象となりました。

このような世代的な不均衡配分がまかり通るのは選挙区割りが地理的な区分けで、各地方の選挙区から選出された地域代表を通じて、社会全体の利害を議会に反映させるシステム、言い換えれば「高齢者」に圧倒的に有利な仕組みになっているからでしょう。

最近こうした視線でネット検索や本屋にお書棚に注目していくと以下の提案が見られます。

  • 井堀利宏・東大教授による「世代別選挙区制
  • 「有権者の世代」に応じて選挙区を配置し、議席を配分した上で、それぞれの世代の代表を選出する制度を提唱しています。
    世代の分割方法はいくつかのケースが考えられ、例えば、20~30代の「青年区」、40~50代の「中年区」、60代以上の「老年区」の3つの世代ごとの選挙が実施されれば全有権者に対して20~30代の有権者が占める割合は32.5%、40~50代の有権者が占める割合は32.7%、60代以上の有権者が占める割合は34.9%となり、青年区、中年区、老年区の議席数は概ね同等となり20~30代の議員数が倍増され、若い世代の望む政策が実施される可能性が高まります。

  • 竹内幹・一橋大学大学院経済学研究科准教授による「余命別選挙制度」(中央公論4月号

    各世代選挙区に、その世代の平均余命(あと何年の寿命があるか)に応じて議席(議員数)を配分し、投票権と余命をリンクさせることを提案しています。たとえば、いま25歳の人の平均余命は57年で、55歳の平均余命29年の約2倍。そこで、20代選挙区には議席を多く配分し、その有権者1人当たり議席数が、50代選挙区の2倍になるようにする。若さに応じて1票に格差をつけるわけです。移行期を除けば、生まれた年にかかわらず、どの人も生涯を通じて同じだけの投票力を持つので、「投票価値の平等」は担保される、というものです。

    国民一人ひとりが平等に権利と義務を持つのが民主主義。「1票の格差」を当て嵌めれば単
    に選挙区割りの不平等性を司法判断に仰いでいる現状ではこうした諸提案を含めて必要で
    ある改革が可能になるにはいつの日になるのでしょうか。

    国民の多数が「長期的に問題あっても現状はほぼ幸せなんです、何かあっても皆で渡れば怖くないでしょ。」といった短絡的な楽観主義から早く目覚めて現実を見つめ直し、
    動き始める時期を繰り延べする理由も余裕もなくなってきている、と私は考えますが。

  • 安心と覚悟

    Shimpeiです。

    楽しい団欒の合い間で今マスコミが話題にしているような「選挙制度違憲判決」なり「デフレ脱却」みたいな話がでてくることがありますね。
    プライベートな仲間とのこうした会話の後に多いのは「(日本)は行き詰まってるんですかね」とか「自分が考えたところでどうしようもないね」といった発言が多くなっています。
    その瞬間の雰囲気は「閉塞感漂う」という感じで一杯。でも認識を共有するレベルには到達しないうちに「他人事」として、まもなく消えてなくなってしまう事が繰り返されています。その根底には「最後には何とかなるだろう」という楽観的な見方が見て取れますね。

    この国が他の国々と同様に様々な問題を抱えている、ことは事実なんですが赤字国債を膨大に発行して大赤字になっている国の財政問題一つを取っても、今も発行した分の赤字国債は国内の金融機関と年金によって引受けられてるわけで、イタリアのように具体的な危機が露呈しているわけではないし、その気配すら見えてきません。
    庶民にとってみれば消費税率の引き上げという「改革の始めの一歩」である具体的なプランが発表されて、一抹の不安を抱えながらも日々それなりに現状維持レベルでは問題なく生活出来ているわけです。
    今回の選挙で自民党が政権を握りアベノミクスという政策転換によってメンタルな景況観が好転し始めていて、我慢していた現状維持の生活さえ上方するのではないかという気分が漂っている。円安、株価上昇によって一時的に潤ったとしても、この間にも国家財政は日々悪化していきます。

    そもそも国民にとってみれば日々起こる問題には熱心であっても長期的に起こり得る問題を認識するという事は難しい課題なのでしょうか。これだけ諸問題の先送りを続けてきた先には問題ばかりが脈々と立ちはだかっているはずです。

    財政に限らず選挙制度、雇用、教育等の構造的な問題の改革も急がれます。しかし、その改革には既得権益の見直し規制緩和が必要であり、やるとすれば当然のことながら大変な混乱と痛みを伴う事になりそうですが現状では「空気の読み方」に一生懸命になって何もしないで終わってしまうという事でしょうか。

    突然に危機が訪れて混乱が起こる手前で柔軟な仕組みを作り「安心と覚悟」を持つ余裕だけは持っていたいものです。

    「衆院一票の格差」違憲判決をめぐるお話

    Shimpeiです。

    「一票の格差」についての高裁判決はご承知の通りですが、違憲と知りつつ、国民の前で野田前首相と選挙直前に約束した「0増5減」さえ未だにスケジュール化されていません。「違憲状態」ならすぐ是正されるべきである、とはいえ長い間その格差によって「議席」という既得権を維持してきた議員さん達の抵抗は相当強そうです。選挙区割りを決めるのは政治家自身に与えられている裁量ですが、一票の格差是正に加えて定数削減の議論が高まる中でも、その事に甘えている彼らに抜本的な改革を願うのは所詮無理な話なのかもしれません。

    SR 社代表のオレグも「千駄木から見た日本経済と市場 vol.1」 で指摘しました。
    日本の政治に多大な影響をもたらすのは、政治家ではなく、選挙制度であるということです。現在の選挙制度は、日本社会を変えて適合させることを可能にするのでしょうか?

    判決後、格差是正など選挙制度改革の提言や有権者の権利をめぐる議論が多くみられる中で、現在の選挙制度の結果として実際に起こっている公共事業の割り振りや地方交付税の配分に関するコメントも見られましたがオレグが考える様に、国民にとって歪んだ選挙区分が国家予算全体の配分や政策を本来あるべき姿に出来ないでいるのではないか?という疑問は 完全に議員定数が公平に割り当てられた場合に生じる予算配分や政策ってどうなるんでしょうか?ということですね。
    今回の判決を経済、財務的な目線でしっかりと考えてみるべきなのかな、と改めて思いました。
    実際の選挙は?昨年末の選挙でも国民全体では約40%は投票を行わなかったわけだし、 世代的にも50代以上は70%以上の投票率、それに比べて20、30代は50%以下。そもそもの人口比でみても確実に高齢化なわけで世代別不均衡の拡大はますます加速し、これからの日本を支える若者の社会政治に対する期待や信頼は失われてしまいます。現在の不平等のままで行われている「20歳以上全員一人一票」を是正したところで?
    そういう意味では「超高齢化社会」のもとでのまったく新しい選挙制度のあり方を考える時期が差し迫っているのでしょうか。