日本の財政問題への処方箋

千駄木から見た日本経済と市場 vol.3

みなさま、お元気ですか。Olegです。

前回は、1990年まで健全だった日本の財政事情の変遷についてお話しました。
今回は日本の現状分析から考えられる問題点を挙げていきます

日本が抱える問題とは何なのでしょうか。

問題は「高齢者」に対する支払いを将来生まれてくる未来世代から借りて払っている事、と同時に、現役世代の税負担が低すぎる、という事です。つまり今の社会保障費用が高過ぎる、というよりも財源不足の結果として、まだ生まれてもいない世代から借り、若者も含めた納税者がその負担をシェア出来ていない、というのが日本の財政上の問題なのではないでしょうか。

それではここで基本的な財政事情について検証してみましょう。

2011年、日本の歳出のうち28.7兆円(総支出の31.1%)が社会保障関係費でした。(年金は積立による別会計になっており、ここには含まれていません。)

同年、国債発行による歳入は約44兆円でしたが(同年度6.1兆円の建設国債も発行)、その約半分の21.5兆円が国債の償還や利払いに充当されたのです。

消費税の話に移りましょう。個人消費支出は名目GDP(約473兆円)の約63%、約296兆円でした。
2011年の消費税は10兆円(個人消費支出の3.4%)で歳入額の11%を占めました。ご存知の通り、現在の日本の消費税率は5%ですが欧州では北欧の3カ国を含め25%に達する課税を実施している国々もあります。下の図表が示す通り日本の消費税率の低さが顕著であることは明白ですね。

付加価値税率の国際比較
(出典:MOF

もし仮に、消費税率が20%まで引き上げられたとすれば、消費支出が一定程度落ち込んだとしても消費税による税収が30兆円程度は確保できる計算となります。このことは消費税率の引き上げによって、新規国債を発行する必要のないレベルの税収が期待出来る、ということも意味します。

次に所得税について考えてみましょう。2011年の所得税は歳入額の14.6%でした。ピークであった1990年に比べると総所得税収は約半分になっています。現在の所得税は2006年に減額変更され、最高税率は40%それに地方税が10%上乗せされて50%ですが、1986年では所得税の最高税率は70%、住民税を加えた最高税率は88%まで達していたのです。

それでは結論に行きましょう。日本が直面している財政問題は深刻です。ただし、対応策には事欠かないし、改善はいくらでも出来るはずです。

問題なのは、政治的な理由でまだ生まれてもいない将来世代からお金を借りる事を選んだように、現在の選挙制度(現状維持を求めている有権者に真面目に答えるふりをしているだけの政治家が多数選ばれる)の元で、政治家が本来持たなければならない柔軟性や政治的資質が失われ、最終的には、歳入(税収)のみならず歳出(社会保障費)に対する政策決定を異常に遅らせていることです。

解決策は2点、消費税の大幅増税社会保障支出の削減です。
消費税は所得の高低に関係なく全国民にとって平等な税金です。全納税者の80%が5%~10%の所得税しか払っていないのであれば、低賃金の納税者からも消費税を上げて税収を増やす以外の手立ては残されていないからです。
社会保障支出の削減は、定年年齢を上げること、諸手当のカット、医療の自己負担比率を上げることで削減することが必要でしょう。

次回は、この消費税の大幅増税と社会保障支出の削減が絶対避けて通る事は出来ない、というお話です。但し残念なことに本当の危機が訪れない限り相応しい解決には至らないのかも、という懸念はあります。もし本当の危機が来れば、ここで繰り返し書かせていただいた政治改革が起きて、痛みは伴いますが経済にとっては良い政策に転換する節目となるでしょう。

「衆院一票の格差」違憲判決をめぐるお話

Shimpeiです。

「一票の格差」についての高裁判決はご承知の通りですが、違憲と知りつつ、国民の前で野田前首相と選挙直前に約束した「0増5減」さえ未だにスケジュール化されていません。「違憲状態」ならすぐ是正されるべきである、とはいえ長い間その格差によって「議席」という既得権を維持してきた議員さん達の抵抗は相当強そうです。選挙区割りを決めるのは政治家自身に与えられている裁量ですが、一票の格差是正に加えて定数削減の議論が高まる中でも、その事に甘えている彼らに抜本的な改革を願うのは所詮無理な話なのかもしれません。

SR 社代表のオレグも「千駄木から見た日本経済と市場 vol.1」 で指摘しました。
日本の政治に多大な影響をもたらすのは、政治家ではなく、選挙制度であるということです。現在の選挙制度は、日本社会を変えて適合させることを可能にするのでしょうか?

判決後、格差是正など選挙制度改革の提言や有権者の権利をめぐる議論が多くみられる中で、現在の選挙制度の結果として実際に起こっている公共事業の割り振りや地方交付税の配分に関するコメントも見られましたがオレグが考える様に、国民にとって歪んだ選挙区分が国家予算全体の配分や政策を本来あるべき姿に出来ないでいるのではないか?という疑問は 完全に議員定数が公平に割り当てられた場合に生じる予算配分や政策ってどうなるんでしょうか?ということですね。
今回の判決を経済、財務的な目線でしっかりと考えてみるべきなのかな、と改めて思いました。
実際の選挙は?昨年末の選挙でも国民全体では約40%は投票を行わなかったわけだし、 世代的にも50代以上は70%以上の投票率、それに比べて20、30代は50%以下。そもそもの人口比でみても確実に高齢化なわけで世代別不均衡の拡大はますます加速し、これからの日本を支える若者の社会政治に対する期待や信頼は失われてしまいます。現在の不平等のままで行われている「20歳以上全員一人一票」を是正したところで?
そういう意味では「超高齢化社会」のもとでのまったく新しい選挙制度のあり方を考える時期が差し迫っているのでしょうか。

 

千駄木から見た日本経済と市場 vol.2

「日本政府はお金を使い過ぎたり、税を取り過ぎてはいない」

シェアードリサーチ代表のOlegです。

前回は、日本経済が直面している問題についての事実を整理しました。今回は、1990年まで健全だった日本の財政事情の変遷についてお話します。

日本は1990年まで、財政問題はなく、債務の支払いは税収で十分まかなえていました。しかし、その後状況が変わりました。

税収が減り始めても、政府は何事もなかったかのように以前と同じ額の支出を続けました。このような事が何故起きたかということについて、私見としては、現行の選挙制度のもとで政権を維持するために、国民の望む現状維持のサービスが最低限必要だとの単純な選挙対策(ポピュリズム政策)があったのだろうと考えます。

この財政赤字(支出額の継続)が当時、どのくらい大きな問題に発展していくかについての認識が不足していたのだと思います。
この未知数の問題に対して、「でも大丈夫だよ」という想いは今でも続き、この問題への対応を鈍らせています。

結果として、歳出が歳入を大幅に上回るため、政府はお金を借りることで埋め合わせるしかなくなりました。ここで重要なのは、ほとんどの政治家が現状の支出額を継続させることで選挙民との公約を守ったのです。

 歳入歳出の比較

(出典:MOF)

 財務省発表の、1990年と2011年の歳入歳出を比較すると明らかなのは、税収が約17兆円減って約41兆円になる一方、歳出は約50兆円から倍増の100兆円を超えていることです。
歳出の中でも年金、医療、福祉で構成される社会保障費が増え続けていますね。

社会保障の給付の推移

(出典:MOF)

上表は財務省が発表している「社会保障費」の1960年から遡って2025年までの推移を示しています。2025年には総合支出は145兆円まで伸び、このまま国民との約束を守るなら23.7%が社会保障費に充てられる試算になっています。2025年まであと12年です。もしあなたがこの「成長シナリオ」に同意出来ないとしたら、社会保障負担率は大きく上昇します。

人口ピラミッドの変化

(出典:MOF)

僕は「日本が無責任な政策を取っている」とか「日本は愚かだ」とは思っていません。
日本は多くの事を成し遂げ、成功した国です。代表例として、国民が長生き出来るようになったこと、同時に、多くの先進国と同様に子供を作らなくなったことが挙げられます。(独り暮らしって実はとっても楽しいのかもね……)
この2つから日本が得たものは、図表「人口ピラミッド」に見られる人口構成の変化でした。「人口ピラミッド」の形がつぼ型の上の方ばかりが膨らみ、つぼを逆さまにしたような構成図になってきていますね。

繰り返しになりますが、これは「成功」から生まれた問題です。政治家が真面目に約束(公約)を守って充実した医療制度を完成させたことや、人々が豊かになって楽しみが増えたことで少子化が進んだ結果なのです。

高齢化社会は、現代医療・経済的繁栄・平和によって成し遂げられました。高齢化社会が問題だからといって、映画「楢山節考」の中で描かれていたような老人殺戮を解決策にしようなどと考える人は皆無でしょう。他の先進国でも日本と同様にますます高齢者が増えていきます。一方出生率の増加については、子育て支援の様な助成金と、日本人の価値観の変化によって20~25年後には効果が出たとしても、短期的な効果は期待できません。

日本がお金を使い過ぎている、支出が多すぎるという批判はまったく見当違いです。
2008年の財務省の統計によれば、社会保障費はGDPの20.5%を占め、米国の15.5%よりは大きいものの主要な欧州各国に比べると低い水準です。ちなみにデンマーク、フランス、スウェーデンはGDPの28~30%を社会保障費支出に充てています。日本は、教育や科学などの非社会保険支出がGDPの16.7%で、OECD加盟国の中では一番低い水準です。(ちなみに英国は24%です。)

結論は単純です。他の先進国と比較すると、日本の財政支出はそれほど多くないことです。よく言われている政治家の選挙目当てで行われるバラマキや、無駄な道路整備などといった公共事業の支出があったとしても所詮程度が知れていますね。

同様に税金についても誤解されています。日本では個人の税負担はそれほど高くありません。日本国民の多くは日本の所得税は高いと思っていますが、財務省のデータによれば、大半の先進国よりも低く抑えられています。納税者の8割は、5~10%の所得税率区分に該当し、わずかな税金しか収めていないわけです。

僕は、税金は経済成長にとって良いものではない、という信念を持っています。
しかしながら、論理的に見て、日本政府はお金を使い過ぎてはいないし、税を取り過ぎているわけではありません。

今回は基本的なデータを示しながらいろんな角度から僕なりの日本の現状についての分析をしましたが、ご理解いただけたでしょうか。

次回は、今回の日本の現状分析から考えられる問題点を挙げていきます。

千駄木から見た日本経済と市場 vol.1

長らくご無沙汰しております。シェアードリサーチ代表のOlegです。

最近、日本と日本経済がどうなっていくのかについて考えていました。思ったことや分かったことを、このブログを通じてシェアします。今まではブログの更新に苦戦してましたが、新ブログになったので頑張っていきたいと思います。ご愛読よろしくお願いします。

日本経済が直面している問題について真剣に考えてみようと思ったのは、私がシェアードリサーチを創業する以前に遡ります。その頃気になったのは外国人投資家と会話する時、よく聞こえた「日本はもうすぐアルゼンチン化しちゃう」という話と、「成長が全て」と言っても過言ではない現代経済理論の前提と高齢化社会の互換性についての疑問でした。

1. 日本のアルゼンチン化
当時、外国人投資家の間では日本のデフレ、低迷する市場に対して非常にネガティブな見方が多く、日本の最悪なシナリオは、日本がアルゼンチンになってしまうのでは?という鋭い指摘をする人達がいたのです。
ご承知の通りアルゼンチンは19世紀終わりから20世紀始めにかけて一見無責任なポピュリスト的なポリシー、政策によって直接比較はできないものの米国と並んで光輝いていた国で「これからはアルゼンチンだよね」って言われていたのですが、まもなく国が破たんしたり、経済がひどい状態になったり、独裁者が登場したりで基本的に終わってしまい、見通しが立たないでいる、未だに「失われた100年」と考えられています。
一部の投資家は日本のバブル以降の「失われた20年」についても今後の見通しが見えてこない事や、アルゼンチンに似通ったポピュリズム、政治が大衆に迎合したまま改革が出来ないでいる日本に希望が持てなくなっていて、そのことが背景となって「とにかく日本はだめだね」というのが「日本のアルゼンチン化」のシナリオだったのです。

2. 「経済理論」の前提と高齢化社会の本当の影響
日本が直面している高齢化社会というのが、経済にどういう影響を与えるかというのが実は「経済理論上」も現実的にも前代未聞の問題であると考え出した事に始まります。
経済理論にはいくつかの大きな前提があります。この前提に違反しない限りこの理論は成立します。では、この理論に反する現象が起きていたら理論そのものがどうなるかというのが、僕の素人としての疑問でした。そうすると基本的に経済成長という問題になりますね。つまり、経済というのは何かと。経済成長のもとは何か?。
僕の中では非常に単純そうで、しかし非常に大きく複雑な問題になってきたので自分自身で整理してみようと思ったわけです。
「こうなるんです」という指摘のためには「今、どうなっているのか」というところから始めなければなりません。

それでは、はじめに「日本経済が今どのような問題に直面しているのか」について真剣に考えて見ます。この「課題」は非常に大きいのでシリーズ化して論じて行く予定です。
勿論、僕の考える解決策やそのシナリオも提示していきます。

今回は何が問題なのかを明確にしてみましょう。

事実の整理
日本が抱えている問題についてはメディア、インターネットを通じて様々なことが言われてきています。そこには書き手の「日本はもう終わりだ、未来はない」という証明のために使われる注目すべき出来事や数字が並べられ注目されています。僕はこういった著述についての同意や異議を唱える前に「事実」をきちんと整理してみます。

過去20年間進化してきた日本の問題というのはかつて述べた「政治家は投票を得(買わ)なければならない」という話と関連があります。ご承知の通り政治家は選挙に勝ち続け長期に渡って議席を維持したい。そのために政治家は有権者に対して社会の現状維持あるいは改善を公約します。その中身はものごとをより良くする、または少なくとも現状を守るという約束にとどまります。投票する平均的な国民にとっても昨日と同じようにか、少しだけ豊かな生活することを望んでいる、といったものでした。
有権者は選挙において自分たちの立場が悪くなるような選択は決してしません。したがって政治家は選挙での勝利のために有権者の意向にそった穏便な政策を続けているのです。
そうは言ってもどんな社会も複雑な社会であり、日本も例外ではありません。

日本で常に聞こえてくる批判の一つに「政治家が悪い」という声がありますが、僕が指摘したいのは悪いのは政治家ではなく実は問題なのは政治システム、政治家を選ぶ「選挙システム」なのではないか、という点が見逃されているのではないかと思いますね。現在のシステムでは有権者に迎合的であるが故に、政治家の持つべき可能性や政策決定に対して影響力を制限しているのではないかと思いますね。
日本の政治に多大な影響をもたらすのは、政治家ではなく、選挙制度であるということです。
現在の選挙制度は、日本社会を変えて適合させることを可能にするのでしょうか?
僕はこのことが日本の根本的な問題であると考えますが日本研究者の多くはそこまで辿っては見ていません。

現在の選挙制度では選挙区、議席配分で見ても政治に対して積極的だと思われる都市部の有権者の意見より、保守的かつ政治的な志向を持たない地方の意見をより大きく反映するように作られているのでは、という見方も出来ますね。ご承知の通り現在の選挙制度は戦後まもなくの米軍支配下において「日本の共産主義化」阻止のために保守的な地盤の強い地方に議席を多く配分したのだと考えますが、その後も国内における与党自民党と野党社会党という「55年体制」のもとで中選挙区制が維持されました。その後社会の保守化が進み、2大政党制の流れが起こり1996年の選挙から小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が実施されてきましたが、選挙区区分は従来からの中選挙区を区分けしたもので「1票の平等性」に基づいて再考された選挙区配分にはなりませんでした。元をただせば米国と国内の保守派によって掲げられた反共産主義とその後の保守政権と国内左翼陣営の妥協がもたらした結果として日本が現在急速に変わることが出来なくなっている、というのは興味深い展開ですね。

次回は経済に戻って1990年まで健全だった日本の財政の事態変化から論じていきます。