財政問題への対策の遅れ

千駄木から見た市場経済 Vol.8

みなさん、お元気ですか。Olegです。

これまで数回に分けて、日本財政の変化、今後の展望についてその背景となっている事象について詳細に説明してきましたが今回が最終章となります。

一般会計
(出典: 内閣府)    

上記は日本の10年先までの日本の一般会計を示していますが、日本と日本政府に変化が見られますか?僕の答えはYes、ドラマチックに変わってきていると思いますね。
海外の日本を批判する人々は「日本は政治家もダメだし、国自体がダメだよね」繰り返し言っていて、一部の日本人もそういう風に思っているように思えます。
でも実際に政府の政策、国としての問題意識のレベルを客観的にみると全然違って見えます。正しく理解しているし、やるべき事はやっているのではと僕は考えます。

日本政府の対策が遅すぎないだろうか?という疑問については僕も賛成ですね。対策が遅れている理由は次の2点ではないでしょうか。
1つは何回も指摘してきた従来の選挙制度によって税金の支払いが少ない高齢者の住む過疎の進む地域に有利な区割りになっているため同じ政党が長期に渡って権力を維持する構造が変らない事です。
公平性(1票の格差を是正すること)が建前上の目的になってしまっている(日本の国民はまるで社会主義国に住んでいるようだと言うでしょう)。
日本は今でも、これからも変わることが出来ますが、それは公平性の議論が進むことで改革が訪れる、というよりはそのきっかけは政治支配の変化ではないかと考えることもあります。ちょっとした経済危機の到来、あるいはカリスマ的指導者の登場、どっちが先になるかはわかりませんが。

遅い、と思う理由の2つ目は、今日本が抱えている問題というのは今までどの他国も経験したことのない結構新しい問題であり便利な解決策や教科書通りの解決策は見当たりません。長期的に大きく変わる事なのでそれを認めるのには時間がかかる、ということです。つまりゆっくりとして未来にしか起きない変化というのは認識することが遅くなるし、積極的には処理出来ない事なのではないでしょうか。
例えば日銀総裁だった白川氏が会見の中で出生率に関する長期見通しに対する自らの誤りを「出生率が低下した時、その低下を一過性のもので長期的には回復すると認識したため通常5年おきに再計算される出生率予測は公的年金等の設定の際に基礎データとして用いるわけだが、我が国の出生率予測を1976年から出生率が2に回復するという前提でこの数字を年金支出を決める際に使っていたが、1992年になってこの認識を改め出生率が2を大幅に下回るという前提に切り替えた。」と述べていることからも理解できますね。

今回まで述べてきた「社会保障費支出」を含めた諸問題は「日本が極めて真面目な社会である」ことによって起った事実として捉え、今後もその変化について観ていこうと思います。
今回お話できませんでしたが、経済成長は非常に重要です。政府の長期的なシナリオである実質2%のGDP成長は出来ますかね?これについては近いうちに解説しましょう。

次回からは新しいテーマでお話していこうと思っています。

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