千駄木から見た日本経済と市場 vol.1

長らくご無沙汰しております。シェアードリサーチ代表のOlegです。

最近、日本と日本経済がどうなっていくのかについて考えていました。思ったことや分かったことを、このブログを通じてシェアします。今まではブログの更新に苦戦してましたが、新ブログになったので頑張っていきたいと思います。ご愛読よろしくお願いします。

日本経済が直面している問題について真剣に考えてみようと思ったのは、私がシェアードリサーチを創業する以前に遡ります。その頃気になったのは外国人投資家と会話する時、よく聞こえた「日本はもうすぐアルゼンチン化しちゃう」という話と、「成長が全て」と言っても過言ではない現代経済理論の前提と高齢化社会の互換性についての疑問でした。

1. 日本のアルゼンチン化
当時、外国人投資家の間では日本のデフレ、低迷する市場に対して非常にネガティブな見方が多く、日本の最悪なシナリオは、日本がアルゼンチンになってしまうのでは?という鋭い指摘をする人達がいたのです。
ご承知の通りアルゼンチンは19世紀終わりから20世紀始めにかけて一見無責任なポピュリスト的なポリシー、政策によって直接比較はできないものの米国と並んで光輝いていた国で「これからはアルゼンチンだよね」って言われていたのですが、まもなく国が破たんしたり、経済がひどい状態になったり、独裁者が登場したりで基本的に終わってしまい、見通しが立たないでいる、未だに「失われた100年」と考えられています。
一部の投資家は日本のバブル以降の「失われた20年」についても今後の見通しが見えてこない事や、アルゼンチンに似通ったポピュリズム、政治が大衆に迎合したまま改革が出来ないでいる日本に希望が持てなくなっていて、そのことが背景となって「とにかく日本はだめだね」というのが「日本のアルゼンチン化」のシナリオだったのです。

2. 「経済理論」の前提と高齢化社会の本当の影響
日本が直面している高齢化社会というのが、経済にどういう影響を与えるかというのが実は「経済理論上」も現実的にも前代未聞の問題であると考え出した事に始まります。
経済理論にはいくつかの大きな前提があります。この前提に違反しない限りこの理論は成立します。では、この理論に反する現象が起きていたら理論そのものがどうなるかというのが、僕の素人としての疑問でした。そうすると基本的に経済成長という問題になりますね。つまり、経済というのは何かと。経済成長のもとは何か?。
僕の中では非常に単純そうで、しかし非常に大きく複雑な問題になってきたので自分自身で整理してみようと思ったわけです。
「こうなるんです」という指摘のためには「今、どうなっているのか」というところから始めなければなりません。

それでは、はじめに「日本経済が今どのような問題に直面しているのか」について真剣に考えて見ます。この「課題」は非常に大きいのでシリーズ化して論じて行く予定です。
勿論、僕の考える解決策やそのシナリオも提示していきます。

今回は何が問題なのかを明確にしてみましょう。

事実の整理
日本が抱えている問題についてはメディア、インターネットを通じて様々なことが言われてきています。そこには書き手の「日本はもう終わりだ、未来はない」という証明のために使われる注目すべき出来事や数字が並べられ注目されています。僕はこういった著述についての同意や異議を唱える前に「事実」をきちんと整理してみます。

過去20年間進化してきた日本の問題というのはかつて述べた「政治家は投票を得(買わ)なければならない」という話と関連があります。ご承知の通り政治家は選挙に勝ち続け長期に渡って議席を維持したい。そのために政治家は有権者に対して社会の現状維持あるいは改善を公約します。その中身はものごとをより良くする、または少なくとも現状を守るという約束にとどまります。投票する平均的な国民にとっても昨日と同じようにか、少しだけ豊かな生活することを望んでいる、といったものでした。
有権者は選挙において自分たちの立場が悪くなるような選択は決してしません。したがって政治家は選挙での勝利のために有権者の意向にそった穏便な政策を続けているのです。
そうは言ってもどんな社会も複雑な社会であり、日本も例外ではありません。

日本で常に聞こえてくる批判の一つに「政治家が悪い」という声がありますが、僕が指摘したいのは悪いのは政治家ではなく実は問題なのは政治システム、政治家を選ぶ「選挙システム」なのではないか、という点が見逃されているのではないかと思いますね。現在のシステムでは有権者に迎合的であるが故に、政治家の持つべき可能性や政策決定に対して影響力を制限しているのではないかと思いますね。
日本の政治に多大な影響をもたらすのは、政治家ではなく、選挙制度であるということです。
現在の選挙制度は、日本社会を変えて適合させることを可能にするのでしょうか?
僕はこのことが日本の根本的な問題であると考えますが日本研究者の多くはそこまで辿っては見ていません。

現在の選挙制度では選挙区、議席配分で見ても政治に対して積極的だと思われる都市部の有権者の意見より、保守的かつ政治的な志向を持たない地方の意見をより大きく反映するように作られているのでは、という見方も出来ますね。ご承知の通り現在の選挙制度は戦後まもなくの米軍支配下において「日本の共産主義化」阻止のために保守的な地盤の強い地方に議席を多く配分したのだと考えますが、その後も国内における与党自民党と野党社会党という「55年体制」のもとで中選挙区制が維持されました。その後社会の保守化が進み、2大政党制の流れが起こり1996年の選挙から小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が実施されてきましたが、選挙区区分は従来からの中選挙区を区分けしたもので「1票の平等性」に基づいて再考された選挙区配分にはなりませんでした。元をただせば米国と国内の保守派によって掲げられた反共産主義とその後の保守政権と国内左翼陣営の妥協がもたらした結果として日本が現在急速に変わることが出来なくなっている、というのは興味深い展開ですね。

次回は経済に戻って1990年まで健全だった日本の財政の事態変化から論じていきます。

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