公平な競争の追求

オリンピックの男子400mリレーで、ある国の選手がドーピング再検査陽性という報道がありました。もし事実とすれば、ルール違反なので、失格も仕方ないところでしょう。競争は公平であるべきだ、という考えには与しますが、一方で公平というのはどこまで追求できるのか、とも思う機会になりました。

スポーツであれ、勉強であれ、努力に比例して競争の結果が出るのであれば、公平と言えるでしょう。しかしながら現実には、努力する環境は各人で全く異なるし、努力以前に遺伝子が違います。環境面では、受験勉強でも進学塾に行けるかどうかで有利不利がある、という考察を見かけます。

そもそも完全に公平な競争というのはなくて、多少は不公平な部分があるものの、なるべく不公平を小さくして競争するほうがやる気が出るよね、という程度で済めば難しい話にはなりません。しかし、金銭が絡んでくると、なるべく、の程度が大きくなり、ルール違反への処罰がきつくなるでしょう。株式投資でも厳しい規制があります。

シェアードリサーチでは、投資家間の情報格差を小さくして、なるべく公平な条件で投資競争が進めば、市場が発展するだろう、という期待を込めて、企業分析レポートを公開しています。同じタイミングで同じ情報を見たうえでの投資判断の違いによって競争が生じれば健全ではないか、長期的には健全な競争環境のほうが株式市場の発展に望ましいのではないか、という仮説を立てて仕事しております。

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